世界の菓子をめぐる

ティラミスはどこから来たのか|北東イタリアから世界へ広がった歴史|SS0005

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ココアの褐色、その下に重なる淡いクリーム、コーヒーを含んだやわらかなビスケット。ティラミスは、切り口を見るだけでも味を思い浮かべやすい菓子です。それなのに「どこで生まれたのですか」と尋ねると、答えはひとつにまとまりません。

イタリア北東部のトレヴィーゾには、店と職人の歩みを通して語られる歴史があります。その東に位置するフリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州には、別の料理人や古いメニューを手がかりとする説明があります。さらに海を渡った日本では、1990年の流行を覚えている人もいるでしょう。

この道のりをたどるには、「同じ名前の菓子があったこと」「今に近い材料が組み合わされたこと」「広く知られるようになったこと」を、少し分けて見る必要があります。三つは重なり合いますが、必ずしも同じ年、同じ場所で起きたとは限りません。

ティラミスの歴史は、誰かひとりの発明の日付を探すだけでは見えてこないのです。

「私を元気にして」という名前の、その前に

ひと口の印象を伝える、短い呼び名

ティラミスの名前は、イタリア語の「tirami su」に由来します。文字どおりには「私を引き上げて」、自然な日本語では「私を元気にして」といった意味で受け取られる言葉です。英語辞典のメリアム・ウェブスターも、このイタリア語の表現を語源として挙げています。

地名でも人名でもなく、食べる側の気分を思わせる名前。これだけでも親しみが湧きます。

ただし、この意味から直ちに「疲れた特定の人物のために発明された」と結論づけることはできません。元気になるという言葉に似合う逸話と、誰がいつ菓子に名付けたかを示す記録は、別々に確かめる必要があります。

トレヴィーゾの店や職人の説明には「ティラメス(Tiramesù)」という表記も登場します。現在よく見る「Tiramisù」と文字が少し違っていても、それだけで別の菓子だとは判断できません。

一方、よく似た名で呼ばれていても、中身まで同じとは限りません。この二つの注意点が、のちに登場する地域の歴史を読み解く手がかりになります。

ビスケットとクリームを重ねる発想は、先にあった

今のティラミスの基本を押さえておきましょう。細長く軽いビスケット、サヴォイアルディにコーヒーを含ませ、マスカルポーネ、卵、砂糖で作るクリームと重ね、ココアを添える菓子です。イタリアの辞典トレッカーニは、スプーンで食べる冷たいデザートとして説明しています。

ここで目を引くのは、焼き上げたひとつの生地ではなく、すでにある材料を組み合わせて全体を作る点です。ビスケットは水分を受け止め、クリームの間に層を作ります。甘い部分の中へコーヒーの風味が入り、表面のココアが重なります。見た目が簡潔でも、ひと口の中に異なる役割を持つ材料が集まっています。

ただし、ビスケットを湿らせてクリームと重ねるという考え方まで、ティラミスと同時に生まれたわけではありません。イタリアの料理書を残したペッレグリーノ・アルトゥージのレシピ第649番には、「ドルチェ・トリーノ」という菓子があります。

公開されている原文では、サヴォイアルディをリキュールで湿らせ、バター、卵黄、砂糖、チョコレートなどを合わせたものと重ねます。

ティラミスと見比べると、共通点と違いがはっきりします。ビスケットを積む構造は似ていますが、ドルチェ・トリーノではバターとチョコレートが使われ、湿らせる液体もコーヒーではありません。

原文には、四角く整え、翌日に表面をならして仕上げる指示もあります。今の四角いティラミスを思わせる部分がある一方で、材料を読めば同一の菓子ではないことがわかります。

このような先行する菓子は、ティラミスを突然現れた奇跡の発明としてではなく、既存の菓子作りの中から生まれた組み合わせとして考える助けになります。

ただし、見た目が似ているだけで、誰が誰のレシピを受け継いだかまではわかりません。形の比較から確認できることと、作り手の証言を必要とすることを分けておくと、歴史がぐっと具体的になります。

トレヴィーゾのレストランから、名前のある一皿へ

アルバ・カンペオルとロベルト・リングアノット

ヴェネト州トレヴィーゾで、ティラミスの歴史と深く結び付いているのがレストラン「レ・ベッケリーエ」です。同店は、1972年に「Tiramesù」がデザートメニューへ登場したと公表しています。

そこに関わる人物として挙げられるのが、アルバ・カンペオルと菓子職人ロベルト・リングアノットです。

店が公開する来歴では、アルバが出産に関わる時期に口にしていた卵の甘いクリームとコーヒーが、着想の背景として語られています。その後、職人と試作を重ね、マスカルポーネを用いた菓子へまとまったという説明です。これは、店が伝えている家族と厨房の物語として読むのが適切でしょう。

一方、リングアノットの公式サイトに掲載された本人名義の回想では、レ・ベッケリーエで働き始めた年を1970年としています。アルバとともに、なじみのある材料を生かした菓子を考えたと記し、取り分けやすさにも触れています。

華やかな材料を新たに発見したというより、既知の材料をどのように一皿へ組み立てるかが、仕事の中心にあったことがうかがえます。

この話には、店で出す菓子ならではの現実があります。おいしいクリームができても、皿に盛れなければデザートにはなりません。

注文に応じて分けられること、ビスケットとクリームを一緒に食べられること、作るたびに目指す形へ整えられること。本人が取り分けやすさを意識していたという記述からは、味と提供の仕方を一緒に考える職人の視点が読み取れます。

現在広く見かけるのは四角いティラミスですが、この店が紹介する形は円形です。公式レシピには丸い皿に組み立てる工程があり、来歴の説明では扇形に分けて提供していたとされています。

四角いことをティラミスの絶対条件にしてしまうと、こうした店の歴史をかえって見落とします。

1981年の料理記事が持つ意味

店の外へ目を向けると、1981年の雑誌『Vin Veneto』が重要な節目として現れます。リングアノットのサイトは、ジュゼッペ・マッフィオーリとアンニーバレ・トッフォロによる同年の紹介を挙げ、掲載誌の写真も示しています。

この文章については、フリウリ側の資料調査に関わったロベルト・ゾッタルも取り上げています。

そこで紹介されるマッフィオーリの説明は、トレヴィーゾのレ・ベッケリーエとリングアノットを結び付け、少し前に現れた菓子としてティラミスを記しています。

発祥をめぐる立場が違っても、この料理記事が歴史をたどる手がかりになる点は共有されているのです。

印刷された紹介には、厨房の中だけにあった菓子を、店の外の人も知ることができるという意味があります。

名前、店、作り手が文章で結ばれれば、読者は別の場所で同じ名の菓子に出会ったとき、その話を思い出せます。レシピが示されれば、訪問できない人にも組み立て方が届きます。

料理記事は、食べ物を場所から切り離して伝える役割を持っているのです。

もっとも、1981年に掲載されたという事実を、そのまま1981年の発明と読み替えることはできません。後年の回想、店が示すメニュー登場年、雑誌の発行年は、それぞれ別の時点を表します。

ティラミスについて複数の年号を見かけるときは、まず「何が起きた年なのか」を読むと、数字の食い違いを整理しやすくなります。

フリウリに残るもうひとつの道筋を、材料から読む

トルメッツォの菓子は、現在の姿に近い

トレヴィーゾの説明だけでは収まらないのが、ティラミスの歴史です。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州のトルメッツォでは、アルベルゴ・ローマの料理人ノルマ・ピエッリによる菓子が、もうひとつの起源として語られています。

資料調査に関わったゾッタルの2017年の記事では、1952年のメニューにマスカルポーネの菓子が見られ、1959年の注文記録と領収書、1965年の会食メニューにティラミスの名称をたどれると報告しています。

また、ピエッリがドルチェ・トリーノを作り替え、バターをマスカルポーネに、ビスケットを湿らせる液体をコーヒーに変えたと説明しています。

ここで述べている年代は、調査者が紹介する史料に基づく説明です。

年代のあるメニューが残っているという報告と、料理人が試作した瞬間の記録があることは同じではありません。それでも、店の名や菓子の名を具体的な資料と結び付けて考えられる点で、単なる出所不明の逸話とは区別できます。

食文化を調べたジジ・パドヴァーニとクララ・ヴァーダ・パドヴァーニも、フリウリ側の起源を論じています。料理誌『La Cucina Italiana』の取材で、ジジはノルマ・ピエッリのレシピを調査したと説明し、誕生をめぐる話と、ヴェネトを通じて名が広まった話を分けています。

この区別を取り入れると、「生んだ土地」と「広めた土地」を必ず同じにしなければならない、という思い込みから離れられます。

ある店で作られた菓子が、別の町でよく知られる可能性はあります。ただし、今回確認した資料だけで、ある厨房から別の厨房へレシピが直接渡った経路まで確定することはできません。似た菓子の存在と、直接の伝授は分けて考えたいところです。

ピエリスでは、似た名前でも中身が違う

同じ州のピエリスには、マリオ・コゾロが作った「コッパ・ヴェットゥリーノ」に関わる歴史もあります。パドヴァーニが取材で説明しているのは、現在よく知られるティラミスとは異なる配合です。

マスカルポーネではなくクリーム、サヴォイアルディではなくスポンジ生地を使い、生地を湿らせるのもコーヒーではなくマルサラ酒だったといいます。

この例を、単に「もっと古いティラミスが見つかった」とだけ紹介すると、肝心の違いが消えてしまいます。同じような名前を持つ冷たい菓子があったことは、名前の歴史に関わります。

しかし、それだけでマスカルポーネとコーヒーの組み合わせが、その時点で完成していた証拠にはなりません。

反対に、材料が違うから無関係だと切り捨てるのも惜しい見方です。

菓子の名前は、材料の一覧表ではありません。作り手が込めた印象、店での呼ばれ方、客の覚えやすさによっても定着します。今では特定の姿を連想させる名が、以前には少し違う菓子を指していた可能性を考えると、言葉と料理が一緒に変化する様子が見えてきます。

「元祖」を選ぶ前に、何を比べているのか

整理すると、トレヴィーゾには店と職人の回想、メニュー登場年の説明、料理誌による紹介があります。トルメッツォには、現在に近い材料の組み合わせと、古い注文記録などをめぐる調査があります。ピエリスには、異なる配合の菓子と、似た呼び名をめぐる話があります。

これは、すべての説が同じ内容を主張しているわけではないということです。名前の早さを比べるのか、材料の一致を重視するのか、店外への普及を知りたいのかで、見るべき資料が変わります。

今回のように誕生から広まりまでをたどるなら、勝者をひとつ選ぶより、それぞれの土地がどの部分を語っているかに目を向けるほうが、菓子の歩みをつかめます。

メディチ家などに結び付ける古い時代の逸話もありますが、今回確認した範囲では、そこから現在のティラミスへ続く経路を示す根拠は得られませんでした。歴史上の著名人が登場する話は印象に残ります。

しかし、名前の華やかさより、メニューやレシピに何が書かれているかを追うほうが、実際の菓子に近づけます。

海を渡ったティラミスは、菓子の名前から味の名前にもなった

1980年代には、英語の記録にも姿を見せる

ティラミスの広まりを考えるとき、発祥の土地から世界へ一本の線を引きたくなります。しかし、国ごとの最初の提供店や、料理人同士の伝達経路をすべて確定できるわけではありません。まずは確認できる記録を、小さな足場として見ていきましょう。

メリアム・ウェブスターは、英語の「tiramisu」について、確認されている初期の使用年を1982年としています。これは同辞典が把握する英語用例の年代であり、その年に初めて海外で食べられたという意味ではありません。

それでも、1980年代初めには、イタリア語の菓子名が英語の文章にも現れていたことを知る手がかりになります。

名前が翻訳されずに伝わるのも、食べ物の面白いところです。日本語でも、意味をそのまま訳した名前より「ティラミス」という呼び方が定着しています。初めて聞く人には中身がわからなくても、店で食べたり、写真を見たりすることで、その音と白・褐色の層が結び付きます。

言葉を覚えることと味を覚えることが、一緒に進んでいくのです。

普及の仕組みを考えるうえでは、料理の構造もヒントになります。イタリア料理アカデミーの公開レシピは、卵黄、砂糖、マスカルポーネ、サヴォイアルディ、コーヒー、ココアを用い、層を作って冷蔵する手順です。組み立てた菓子全体を焼く工程はありません。

この作り方なら、焼いた土台を一から用意するケーキとは異なる入口から、家庭でも取り組めます。ただし、作りやすさだけを世界的な普及の原因と断定することはできません。

ここから言えるのは、レシピを知った人が、完成品を食べるだけでなく自分でも組み立てられる菓子だということです。味の記憶が作り方の共有につながる余地があります。

日本の1990年は、誕生ではなく出会いが広がった年

日本でティラミスの話をすると、1990年のブームがひとつの節目になります。洋菓子ブランドC3のコラムで、フードジャーナリストの宮本さやかは、この年の流行と雑誌『Hanako』の関わりを振り返っています。当時、同じ出版社で働いていた人による回想として、日本側の受け止め方を知る資料になります。

ここでも、流行した年と、最初に持ち込まれた年を同じにしないことが大切です。

ある年に大勢が菓子の名を知ったとしても、その前年まで誰も食べていなかったことにはなりません。メディアで取り上げられる時期は、菓子自体の誕生より、読者の関心が集まる時期を示している場合があります。

イタリア側の記録では店や料理人が前に出て、日本側の回想では雑誌や流行の記憶が前に出る。

同じ菓子でも、見る場所を変えると、歴史の登場人物が変わります。厨房で配合を考えた人、文章で紹介した人、商品として届けた人、初めて味わった人。それぞれが別の段階で、ティラミスを身近なものにしてきたと考えられます。

現在の日本の商品を見ると、名前の広がりはさらにわかりやすくなります。たとえば新宿中村屋は、コーヒーゼリーとマスカルポーネ入りのクリームを、コーヒー風味のココア生地で包んだ菓子を「ティラミス」として紹介しています。サヴォイアルディを皿の上で重ねる形とは異なる、焼き菓子への展開です。

味の素AGFには、マスカルポーネやエスプレッソの風味を組み合わせた、ティラミスショコララテの製品もあります。こちらは食べる菓子から飲み物への展開です。

これらを古いレシピと同じものとして扱う必要はありません。むしろ、形を変えても、コーヒー、乳の風味、ココアの組み合わせによって、ティラミスを連想できることに注目したいところです。

ひとつの菓子の名前が、味わいの方向を伝える言葉にもなっている。その変化は、名前と中身の関係が現在も動き続けている例といえます。

世界で知られた名前が、もう一度町へ人を向ける

海外へ広まった菓子は、土地との結び付きを失うばかりではありません。トレヴィーゾを中心とするTiramisù World Cupは、ティラミスを通じて地域の観光や食に関心を向けてもらうことを、企画の目的に掲げています。

菓子の知名度を、町を知る入口にしているのです。

興味深いのは、大会の公開規則が、レ・ベッケリーエとトルメッツォのアルベルゴ・ローマの両方に言及していることです。二つのレシピの主要材料が共通することを踏まえ、競技の部門を説明しています。発祥をめぐって比較される土地が、現在のティラミス作りでは共通の材料を通して並んで紹介されています。

店の一皿として名前を持ち、文章を通して知られ、海を渡って別の形を生み、また土地へ目を向けさせる。ここまで来ると、ティラミスの歴史は単にレシピが移動した話ではありません。同じ名を手がかりに、人が何を思い浮かべるようになったかという歴史でもあります。

まとめ|ひと皿の向こうには、誕生と広まりの別々の時間がある

ティラミスの歴史をたどると、先行する層状の菓子、北東イタリアの店と料理人、料理誌に現れた名前、海外の言葉や日本の流行がつながってきます。ただし、そのつながりのすべてを、一本の確定した伝承経路として描けるわけではありません。

トレヴィーゾの店の歩みを知ることと、フリウリ側の古い記録を大切に読むことは、両立します。

似た名の菓子でも配合が違うことを知れば、コーヒーとマスカルポーネが組み合わされた現在の姿にも、あらためて目が向きます。「誰が最初か」という問いの先に、何が変わり、何が受け継がれたのかという楽しみがあるのです。

ティラミスを選ぶときは、丸いか四角いか、ビスケットかスポンジか、どんなクリームが重なっているかを少し見てみてください。店や作り手が何を残し、どこを変えたのかと考えると、見慣れた菓子の姿が具体的に見えてきます。

自分でその組み合わせを確かめたいときは、ティラミスの基本レシピも役立ちます。コーヒーを含んだ生地とクリームを重ねる作業には、歴史の中で語られてきた材料が、今もそのまま手元にあります。

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